Publickey主宰者・新野淳一氏に聞く、エンジニアのキャリア・スキルの磨き方、「稼ぐ力」の付け方

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月間40万PV/20万ユニークユーザーが読むブログ「Publickey」は、エンタープライズIT分野において個人が運営するブログメディアとしては最大級の規模といえる。そんなPublickeyを運営するのが、IT専門情報メディア「@IT」の元発行人である新野淳一氏。IT専門分野の草分け的存在だったアスキーを皮切りに、IT業界を30年以上にわたって見続けてきた新野氏が、自身の経験をもとに、エンジニアとしてのキャリア・スキルの築き方を語った。

キャリアの基盤を築いた20代

——「Publickey」では、エンタープライズITを軸に、クラウドコンピューティングなど幅広くIT分野を記事として取り上げています。新野さんは、もともと編集者としてキャリアをスタートされたのですか?

Publickey トップページ。ITエンジニアであれば、一度は記事を目にしたことがあるだろう
Publickey トップページ。ITエンジニアであれば、一度は記事を目にしたことがあるだろう

新野 実は最初は、コンピュータソフトウェア部門の営業でした。新卒で入社したアスキー(現KADOKAWA)には、当時出版部門とコンピュータソフトウェア部門などがあり、そのソフトウェア部門でデータベースベンダのInformix(現IBM)と販売代理店契約を結んでいたんです。InformixはMS-DOSやUNIX上で動くDBMS(データベース管理システム)で、入社1年目はその営業として、ソフトウェア開発を行うISV(独立系ソフトウェアベンダ)を回っていました。

2年目になると、今度は大手ハードメーカーを回るようになりました。当時、富士通や日立、三菱電機などいろいろなハードメーカーがUNIXマシンを開発しており、そうしたメーカーにInformixのOEM営業をしていたわけです。

——キャリアのスタートが営業職とは意外ですね。

新野 実はアスキーの入社時に、「編集職かエンジニア職で」と希望を出していたのですが、配属されたのが営業だったわけです。がっくりきたのですが、でも「何年かはやってみよう」と思って続けました。

 アスキーとの関わりは、中学生の時からです。中学生の頃に、両親がNECのPC-8001というパソコンを買ってくれたのがきっかけで、『月刊アスキー』などのパソコン雑誌を読むようになりました。プログラミングは自分ではまだできなかったので、雑誌に掲載されていたプログラムを入力して遊んでいるうちに、「パソコンって面白いな」と思うようになり、それでパソコン少年になりまして。PC-8001は日本で本格的に普及した初めてのパソコンなので、本当にパソコン少年のはしりでした。

 大学でもパソコンを学びたいと思い、東海大学理学部の情報数理学科に入学しました。卒論のテーマは、積極的に選んだわけではないのですが、たまたまUNIXでした。UNIXのソースコードを読んで勉強したり、viエディタを使ってUNIXで動くCプログラムを書いたりしたんです。そういう知識を活かせる会社として選んだのが、パソコン雑誌で親しんでいるアスキーでした。

——最初は営業職で、そこから編集職に?

新野 いえ、営業を2年経験した後、3年目にInformixのテクニカルサポートに異動するんです。InformixはSQLに対応していたので、SQLも勉強する必要がありました。営業に連れられて火を噴いているプロジェクト現場に赴き、「動くまで帰さない!」と言われることもしょっちゅうありましたよ。

 この部門ではInformixの開発者向けにセミナーも開催していて、基本的なプログラミングやSQL、リレーショナルデータベースの仕組み、クライアント/サーバ(以下C/S)の構成方法などを教えていました。自分でテキストを書いて、教壇に立って講義するということもやりましたね。現在講演などで話す機会があるのですが、人前で話すスキルが育まれたのはこの時です。初めて技術解説の執筆をしたのも、この頃でした。思い返してみれば、今のキャリアの土台が作られたのは20代でしたね。

 技術知識についても、運良く時流に乗ることができました。テクニカルサポートの仕事では、日々SQLに立ち向かい、他の人が書いたプログラムコードを読み、システム開発現場に行ってエンジニアの考え方や仕事の仕方などを見ましたし、さらにこのタイミングで、UNIXのビジネス利用が進み、Windowsが登場し、LANを使ったC/Sが普及し始めたんです。そこでTCP/IPやイーサネットなどについても勉強しました。

 結果、こうした技術がそれからのエンタープライズITのメインストリームになっていくわけですが、当時はまだ出始めの技術だったので、どう流れていくか分からない時代でした。何しろその頃は、OSはNovell NetWare、データベースはdBASEが主流で、そちらを担当していた人ももちろんいたんです。もしも僕がその担当だったら、その後の技術的なメインストリームから外れていたでしょうね。

 テクニカルサポートは5年くらい経験しました。編集部門に移ったのは、20代の最後の年です。

フリーランスになって、初めて「マーケットに出た」30代

——アスキーではどのような雑誌を担当していたのですか?

新野 最初は『Windows Magazine』です。その頃にWindows95が米国でローンチされ、シアトルに行き、マイクロソフト社のイベントを取材してビル・ゲイツ氏の講演も聞きました。パソコン雑誌が最も勢いがあった頃ですね。

 その後、Windows2000が出てきて、マイクロソフトが本格的にビジネス分野に進出しました。そして、パソコンではなくビジネス系のIT雑誌を発行することになり、『netPC』という雑誌を創刊しました。編集長は藤村厚夫さん(株式会社アットマーク・アイティ創業者、元アイティメディア株式会社代表取締役会長。現スマートニュース株式会社執行役員)で、副編集長が僕です。2人ともソフトウェア部門でのビジネス経験があったため、適任とされたわけです。

 編集部門には3年在籍し、その間に『netPC』も『アスキーNT』にリニューアルしました。ただ、その頃から会社の経営が傾き始め、ゴタゴタが続くようになるんです。『アスキーNT』も不振で、編集部のスタッフが丸ごと入れ替わることになり、僕にも別の媒体の編集部に異動命令が出ました。そんなことがあって、結局僕も会社を辞めてしまいます。これが1998年の6月です。

——そこから2000年の株式会社アットマーク・アイティ設立と「@IT」の立ち上げまでの間、しばらくフリーランス編集者になるんですよね。不安や迷いはありませんでしたか?

新野 もう会社を辞めることは決めていたので、その点での迷いはなかったのですが、次のキャリアをどうするかは全然決めていませんでした。アスキーで別の媒体の編集部に異動するように告げられて以来、ずっと自分の人生について考え続け、やりたいことは何か、それで生きていけるのかを自問自答する日々が続きました。人生の中で、一番自分の人生について考えた時でしたね。

 その時に思い出したのが、編集部時代に見た光景です。当時はセキュリティもそんなに厳しくなかったので、編集部には入れ代わり立ち代わり、フリーランスのライターさんやカメラマンがやってきては仕事をして、「じゃ!」と帰っていく。編集部で初めてフリーランスの働き方を目の当たりにして、かなり衝撃を受けたんです。「自分にも、ああいう働き方ができるかな」「稼げなかったらどうしよう」という不安はありましたが、一方で、「もし別の会社に転職しても、やりたくない仕事なら、結局いつか辞めてしまうかも」とも考え、結果としてフリーランスの編集者を選んだんです。

——会社員時代と比べ、収入面はいかがでしたか?

新野 アスキーを辞めたのが32歳の時で、年収は確か600万円でした。フリーランスになった時、ソフトバンク・ジーディーネット(現アイティメディア株式会社)が運営していた「eWeek」というオンライン媒体の編集部で、常駐編集者として仕事をしながら、IT企業から個別にカタログ制作などを請け負うようになったんです。すると「決まった収入+個人の収入」という形で、倍近くに上がり、すごくびっくりしました。

 それと同時に、自信もつきました。「自分がマーケットに出るというのは、こういうことか」と。翌年、住民税の高さに、さらにびっくりしましたけどね(笑)。

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——@ITの立ち上げでフリーランスから再び会社へと移りますが、そのきっかけは?

新野 日本オラクルの社長だったアレン・マイナーさんが、ベンチャーキャピタル(VC)を立ち上げるに当たり、藤村さんに声を掛けたんです。マイナーさんは、VCでAmazonのようなサービスを日本で立ち上げようとしていて、出版関係に明るい藤村さんを誘ったそうです。そこで藤村さんが、かつての編集部の中で一番暇そうだった僕に声を掛けたわけです。

 僕はフリーランスとしての働き方や仕事内容がとても気に入っていたのですが、当時1つだけ懸念があったんですよね。それは「取引先となる媒体や会社が少ない」ということ。エンタープライズITというテーマで書ける媒体や出版社といえば、日経BPかソフトバンク、翔泳社、アスキーくらいしかありませんでした。これからもフリーランスとしていろいろなメディアと仕事をしていくことを考えた時、「選択肢がこれしかないのはつまらないな」というのが正直な気持ちでした。

 藤村さんから声を掛けられた時、「自分が好きな分野のメディアを作って、またフリーランスに戻ったら取引先が増える!」と思ったんです。最大の理由はそれでした。単純に「取引先を増やしたい、エンタープライズ系のメディアを増やしたい」と。30代前半でしたし、経験もあったので、「僕ならできる」とも思いました。

 @ITがスタートしたのは、2000年5月22日です。当時ネットメディアのなかで最も存在感があったのは「ZDNet Japan」で、その得意分野はニュース系でした。なので@ITは、自分が得意な技術解説にフォーカスしたんです。エンジニア業界では、存在感あるメディアだったと思います。

個人メディアの可能性にかけ、Publickeyを立ち上げる

——その後、@ITとソフトバンク・アイティメディア(前身はソフトバンク・ジーディーネット)が2005年3月に合併し、新野さんは2008年にアイティメディアを退社して、Publickeyの立ち上げへと至りますね。退社された理由は?

新野 もともと@ITを立ち上げる時から、「いつかは辞めてフリーになる」と思っていたので、当初の予定通りだったんです。ただ、会社が合併で大きくなり、上場(2007年4月)のタイミングもあったので、退社するまでに時間がかかってしまいました(笑)。

 以前のフリーランス時代と違っていたのは、新しく登場したブログメディアが大きな影響力を持っていたことです。米国ではブログが2005年くらいからブームになり、ギズモードやTechCrunchなどのブログメディアが次々と立ち上がって、それまでのメディアビジネスを変革していきました。日本でも今同じことが起きていますよね。例えば何か新製品がリリースされると、ブロガーやユーチューバーがごそっとその話題を取り上げます。すると広告単価も下がるので、プロフェッショナルメディアの売り上げが落ちるんですよ。僕はアイティメディアにいた頃から、メディア運営者として、ブログメディアの動きにはずっと注目していたんです。

 @ITを立ち上げた2000年前後と異なり、サーバにかかる費用が安くなっており、Movable TypeのようなブログのCMSも登場して、個人でもメディアを立ち上げやすい環境になっていました。個人のメディア運営という可能性があり、米国ではそういうメディアがすごく勢いがあることを知って、「自分でできるのでは?」と思ったんですよ。

 アイティメディアでは僕は事業部長だったので、コンテンツも営業も、ビジネスの仕組みも見ていました。@ITのHTMLも最初は僕が全部書いたんです。しかも、自分で記事を書けるわけだから、「全部ひとりでできる」。それで生まれたのがPublickeyです。

——Publickey立ち上げ後の反応はいかがでしたか?

新野 2009年2月にPublickeyを立ち上げた後、実は最初の2年は、ほとんどビジネスになりませんでした。当時ブログの収入はAdSense頼みで、年間数十万円から100万円くらい。この頃は、「やっぱり個人のブログメディアはダメなのかな」と、悶々(もんもん)と過ごしていました。フリーランスのライターとしては収入があったので、窮することはなかったのですが、なかなかブログ事業はうまくいきません。当時は世界的な不況だったことも、影響していたと思います。

 収入を公開するようになったのは、Publickeyを立ち上げてから3年目のことです。確か480万円くらいだったと思います。なかなか伸びないな、どうしようかな、と思っていたのですが、3年目を過ぎた頃から少しずつ広告が入るようになり、売り上げが伸びてきました。いま振り返ると、よく耐えたなと思います。


新野氏が語る「エンタープライズITに関する3つのターニングポイント」

——営業からスタートし、いまはITジャーナリスト/ブロガーとして30年以上IT業界に携わってきています。技術的なターニングポイントで印象に残っているものは何ですか?

新野 いくつかあります。まずひとつは、1990年代半ばからのインターネットの普及です。それまでは、企業の情報システムはオフィスの中だけのものでしたが、インターネットにより、外とつながるようになりました。そこからメールやグループウェアが登場し、コミュニケーションのやり方も変わってきましたね。

 技術的にいえば、TCP/IPやイーサネット、HTTPといったインターネットのテクノロジーが、社内外のあらゆるシステムのベースになりました。これもすごいことだと思います。

 次に挙がるのは、Linuxです。Linuxの登場により、オープンソースのソフトウェアがビジネスのなかで使えるということが証明されて、これを皮切りにオープンソースのソフトウェアがエンタープライズITを支えるようになりました。

 これにより、それまでベンダ主導で進められていた技術進化が、オープンソースのコミュニティから生まれるようになりました。ベンダ主導の時代は、極端にいえばお金を払わなければ物事が進まなかったのですが、オープンソース側から物事が動くようになったわけです。

 そうすると、エンジニアの働き方やキャリアも変わります。それまでは、最新技術はほとんどベンダに集まっており、ベンダの技術に詳しい人が求められてきました。しかし、オープンソースという新しい価値観が生まれることで、コミュニティへの貢献がキャリアに好影響を及ぼし、スキルアップにつながるようになりました。そういう新たなエンジニアのヒーロー像が生まれたのです。

 あとは、やっぱりクラウドですね。クラウドの最大の特徴は、一言では表現できないジャンルの広さです。その分、クラウドを活用することは非常に難しくなっている。社内で学べる範囲を超えているんですね。あらゆるレイヤーに精通する必要がありますし、オープンソースやベンダの技術も追っていかなければなりません。技術だけではなく、仕事や業務についても勉強する必要があります。そういう包括的な知識は、単に仕事をこなすだけではなかなか学べないのです。会社の枠を超えて物事を学ぶ姿勢を保ち続けないと、クラウドをキャッチアップできないと思います。

 クラウドとオープンソースが出てきたおかげで、会社の中でキャリアを考える時代から、会社を超えて自分のスキルやキャリアを考える時代へと変化しました。そうでないと、エンジニアは自分のキャリア人生を生き抜けなくなってきています。Linuxが出てきた頃からそういう雰囲気はありましたが、クラウドの登場で、その傾向が一段と鮮明になってきた。僕はそう思っています。

今後、稼ぐエンジニアになるために身に付けるべきスキルとは?

——Publickeyは、そうしたエンジニアの方に向けて、情報を発信しているわけですね。

新野 そうですね。取材するスタイルも昔とはずいぶん変わりました。かつてはベンダが一番情報を持っていたので、発表会に出席して、新製品や技術のことを取材していましたが、いまのメインストリームは明らかにコミュニティです。僕もオープンソースのコミュニティの情報や、フォローしているオープンソースエンジニアのTwitterを見て、業界動向をウォッチしています。

 記者発表も、日本で開催されるだけでなく、米国の発表会の様子がストリーム配信され、それを情報源として日本で記事が書かれるケースが増えてきました。僕自身も積極的にそうしたことをしています。

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——いま、注目している技術は何ですか?

新野 あらゆる環境に対応できるようにアプリケーションをパッケージング・デプロイ・実行できるコンテナ技術ですね。中でも、DockerやKubernetesには注目しています。

 やはり、これからのITインフラの基盤になるのは間違いなくコンテナ関係であり、それによって上に載るアプリケーションのアーキテクチャも変わろうとしています。そのため、この分野をしっかりウォッチし、発信していくことはとても大事だと考えています。

——最後に、「今後10年~20年稼げるエンジニア」になるためのメッセージをお願いします。

新野 エンジニアの場合、今この瞬間に携わっている技術が、将来の稼ぐ力に大きく影響すると思います。

 もちろん、自分がどの技術に携わるか、自分で選べる人は少ないと思います。そういう場合は、まず目の前の仕事を頑張り、スキルを上げていくしかありません。

 自分の場合も、UNIXからC、Windows、TCP/IP、C/Sと、メインストリームに携わったのは、本当に偶然でした。

 ただ、もう少し広い意味で「稼ぐ力」を付けるには、何よりもビジネスを理解することが必要です。具体的にいえば、お金を理解するということ。お金の流れや相場を理解することで、交渉もできるようになるし、チャンスに気付く目が養われます。

 Publickeyでは、毎年6月の終わりから7月にかけて、上場企業の平均年収の記事を出しています。これを読めば、自分と似たキャリアの人や、同じ年代の人がどれくらいの収入を得ているのかが分かりますし、相場を知ることができます。

 さらにいえば、自分の会社が取ってきた仕事は実はいくらなのか、その気になれば調べられますよね。逆にいえば、意識しないと取れない情報なのです。世の中でいくらお金が動いているかを意識して、その流れを見ることが、将来の稼ぐ力につながると思います。

 「ビジネスモデルを理解しよう」「ビジネスに詳しくなろう」というと、抽象的で大きな話になり、難しく感じますが、お金の相場や流れは具体的なので理解しやすいはずです。ビジネス相手から提示された条件が良いのか悪いのか、判断する力になる。技術に対するアンテナと同じように、お金とビジネスに関するアンテナも張っておくといいと思いますし、Publickeyでも技術情報と同じように、エンジニアに対してそういう情報を発信していきます。

新野淳一(にいの・じゅんいち)

新野淳一

ITジャーナリスト/Publickeyブロガー。一般社団法人クラウド利用促進機構(CUPA)総合アドバイザー。日本デジタルライターズ協会 代表理事。大学でUNIXを学び、株式会社アスキーに入社。データベースのテクニカルサポート、月刊アスキーNT編集部 副編集長などを経て1998年退社、フリーランスライターに。2000年、株式会社アットマーク・アイティ設立に参画、オンラインメディア部門の役員として2007年に株式公開を実現、2008年に退社。再びフリーランスとして独立し、2009年にブログメディア「Publickey」を開始。イベントでの講演・登壇やモデレータも行う。

(取材・構成:岩崎史絵)