世界の教育格差をなくすプラットフォームへ──4拠点共同のグローバル開発で、Quipperが目指すもの

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ITの波は教育分野にも押し寄せ、さまざまなアプリやサービスが登場している。そんな中、日本以外にインドネシア、フィリピン、メキシコに開発拠点を持ち、世界に向けて教育分野に特化したサービスを提供しているのが、Quipperという企業だ。

先生がオンラインで宿題を管理できるラーニングマネージメントシステムの「Quipper School」や、インドネシアなどで学習動画を提供する「Quipper Video」の開発・運営をしているほか、リクルートマーケティングパートナーズが運営するオンライン学習サービス「スタディサプリ」の開発を2015年から引き継いでいる。

Quipper | リクルートマーケティングパートナーズ

Quipperでは、ワールドワイドに展開する拠点を使い、これらのサービスをどのように開発しているのか。また、「教育」という国ごとに特色が分かれる分野でのアプリ開発やビジネスの難しさはどこにあるのか。バイス・プレジデント・オブ・エンジニアリングの長永健介さんにお話を伺った。

教育の「機会とモチベーション」の格差解消を目指して

Quipperは2010年に、DeNAの創業メンバーである渡辺雅之さんによってイギリス・ロンドンで立ち上げられたEdtech企業だ。テクノロジーによって全ての子供たちが学ぶ機会を持てる世界の実現を目指している。そのため、立ち上げ当初からグローバルマーケットを意識しており、開発拠点も日本だけでなく世界各地に存在する。

バイス・プレジデント・オブ・エンジニアリング 長永健介さん
バイス・プレジデント・オブ・エンジニアリング 長永健介さん

「今はインドネシアのジャカルタ、フィリピンのマニラ、メキシコのメキシコシティに拠点があり、そして創業者でCTOの中野がイギリスのロンドン在住で、そこからプロジェクトのコントロールをしています」

規模としては東京が最も大きく、次いでインドネシア。最も小さいのがメキシコ。これらの拠点が、それぞれの国ごとのサービスを開発しつつ、グローバルで共通のプラットフォームやバックエンドについては、各国横断で行っているという。

インドネシアキックオフの様子
インドネシアキックオフの様子

Quipperは創業当時から「学習機会の格差をなくす」ことを目標の一つとして掲げ、2014年からは先生に向けたオンライン宿題・課題管理サービスのQuipper Schoolを提供してきた。

宿題の問題作成や配布、採点といった作業をオンラインで完結できる機能が先生たちの間で評判を呼び、インドネシアやフィリピンを中心に、学校教材として広く使われているという。

「Quipper School」のサイト
「Quipper School」のサイト

Quipper Schoolを通じて経済的・地理的問題による教育格差をなくそうと取り組んできたQuipperは、2015年にリクルートマーケティングパートナーズの子会社となった。リクルートマーケティングパートナーズが掲げる「世界の果てまで最高の学びを届けよう」というビジョンは、Quipperの社是である「Distributors of Wisdom」とも一致するものだ。また、海外の教育現場ですでに実績を残しているQuipperと、セールスやマーケティングのノウハウと展開力に長けたリクルートマーケティングパートナーズが共に動くことで、より大きな価値を生み出す狙いがあったという。

Quipperは同年、両社が培ってきたノウハウを生かした新サービスとして、インドネシアなどに向けた学習動画の配信サービス「Quipper Video」をリリースした。さらには、リクルートマーケティングパートナーズからスタディサプリ(旧・受験サプリ)の開発を引き継いでいる。

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Quipperがスタディサプリシリーズの開発を引き継いだ2015年時点で、すでに有料会員数は20万人を超えていた。スタートアップ企業が買収された後すぐにこれだけの規模の開発を手掛けることになったのは、教育分野のサービスにおけるQuipperの技術力、開発力に期待がかけられていたからに他ならない。

「当時の私の立場ではうかがい知る余地もなかったのですが、買収が決まってからの移管プロジェクトなどを見ると、全体としてわれわれの価値をかなり高く評価していただいているように感じました」

スタディサプリの移管という大きなプロジェクトを完遂したことは、Quipperの「学習機会の格差をなくす」という目標に対する一つの成果だ。しかし広く教育分野を見渡すと、それだけではまだまだカバーしきれないところがあると、長永さんは語る。

「機会は埋めることができても、モチベーションには格差があります。自分一人だけでは学習が続かないという生徒さんもいる。一方で、日本の学校の先生は世界一忙しいといわれています。システムで先生の業務負荷を低減することができれば、結果的に先生が生徒を指導する時間が増えます。それによって、生徒が希望の進路を実現することにつながると思うんですね」

さらに日本では2020年からの教育制度改革によって、大学入試の際に高校3年間の生徒の活動記録提出を求められる場合があるなど、教師の業務の効率化がいっそう必要になることが予想される。Quipperはサービスを通じて学校教育のプラットフォームをデジタル化することで、生徒側にも教師側にもメリットをもたらしたいのだという。

「創業当時から培ってきた教育サービスをはじめ、スタディサプリシリーズなど、われわれはさまざまな“パーツ”を持っています。まだまだパワーが全然足りていないんですが、そうしたパーツをつなげていくことが、教育サービスとしての理想型だと考えています」

単に教育サービスを提供するだけでなく、いわば教育におけるデジタルトランスフォーメーションの実現を目指しているQuipper。その高い目標を実現するために、エンジニアリングの観点から一体どのような工夫をしているのだろうか。

教育ビジネスにおける、グローバルとローカルのバランス

日本、インドネシア、フィリピン、メキシコの4拠点をまたいだ開発体制について、長永さんは次のように語る。

「日本向けのサービスにフィリピンの開発者がリモートで参加したり、Androidアプリの開発に各拠点のメンバーがリモートで参加したりしています。また、生徒向け画面のリニューアルプロジェクトは、東京をメインに各国横断で進んでいます」

このように世界の各拠点が協力し、主にSlackとGitHubのIssuesによってコミュニケーションしながら日々開発している。コミュニケーションも日本語や各国の言語ではなく、共通語として英語の比重が大きくなっているという。

「拠点をまたぐと基本的に英語でのやりとりになっていますね。ローカルでのコミュニケーションは、日本の開発の話をしている場合は、日本語がほとんどです。ただ、チームによっては海外から参加しているメンバーがいて、英語で日々のチャットやGoogle ハングアウトでの会話を行っている場合もあります。東京オフィスには日本語ネイティブではないメンバーもいるので、そういったメンバーが参加するチームでは英語ベースになっていたりもします」

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しかし長永さん自身、Quipperに入るまでは仕事で英語を使う機会もなく、海外経験もゼロだったという。

「最初は不安もあったんですが『仕事で英語を使う環境に身を置く』というのが目標だったので、そこは『なんとかしてやる』という思いでやってきました。GitHubのプルリクエストを英語で書くことで、鍛えられたりもしました。やる気になりさえすれば、習得不可能なものではない。問題は、やる気が持続できないことで、僕の場合は、仕事で使わざるを得ない状況になれば、怠惰な自分でもやるだろうと思って(笑)。ほぼほぼ目的は達成したかなという感じがあります」

このように、グローバルで共通のサービスをグローバルで共同開発するという体制は、現状でおおむねうまく回っている。一方で、少しずつ課題も見えてきたそうだ。

「個人的に一番大変だと思ったのは時差ですね。僕が入った頃は、ロンドンにも拠点がありエンジニアが多数いたので、彼らと一緒に開発することが多かった。そうすると、東京でコメントしても、その返事が読めるのは翌日の午前中。こちらのお昼過ぎには彼らは帰ってしまうので、丸1日ごとのメッセージの往復になるんです。インドネシアやフィリピンは近いので、今はその点で非常に楽になりました。その分、離れているメキシコには苦労を掛けてしまっているのですが」

また、教育分野の文化的背景による困難に直面することも多々あるという。

「文化的な背景の中で、日本の学校教育に対する理解が得られず、どうしても英語に訳すのが難しい概念も出てきます。例えば『進路』に当たる、そのままの英単語はありません。セールスとかマーケティングといった各ローカルでのコミュニケーションまで含めて考えると、なかなか難しいところがあるなと」

ジャカルタでのQuipper School利用風景

Quipperは、創業時からグローバルでのEdtechの展開を掲げ、各国拠点をまたいだグローバル開発の経験を積み上げてきた。長永さん自身も、日本にいながら海外のサービスに関われるという点に魅力を感じて、Quipperに入社したという経緯がある。一方で、言語や教育事情などを鑑みると、それぞれのローカルで開発した方が効率も良く、ユーザーに届ける価値も大きくなるという。

「ユーザーファーストという最も大事な価値を考えたときに、僕たちがグローバル開発を楽しめることよりも、各マーケットのユーザーに対して一番早く良いものを届けることが上に来るべきです。それはぶれてはいけない。そのために今、スタディサプリのシステム基盤を刷新して、グローバル共通で開発した方がよい部分と、各国ごとにローカルで開発した方がよい部分を柔軟に選択できるようなアーキテクチャを作ろうとしています」

グローバル開発における時差や言語、国ごとの教育事情という課題。そしてそれらを支えるテクノロジーという基盤。Quipperの内情が少しずつうかがい知れたが、そうした企業では、どのような考え方が求められるのだろうか。

「教育サービスで安易なABテストをすること」の問題に気付けるか

一般的に、スマホアプリやWebサービスは、開発と運用が一体になり、素早くプロダクトを改善していくことで、ビジネスを成長させていくことが求められる。だが、教育事業では、そうした「勝ち筋」がそのまま通用しないという。

なぜなら、教育は人生に関わることであり、さらに結果が出るまでに長い時間がかかるからだ。さらに、学校向けの一括導入は基本的に1年単位の契約なので、より配慮が必要となる。

「学校は3月、4月の年度区切りのタイミングで新しく変わっていくサイクルなので、現場とやりとりをしているセールスからは大きな機能追加や仕様変更などはその時期にまとめてほしいとリクエストがあります。年度初めに使い始めてようやく慣れた頃に大きく仕様が変わると、操作を覚え直すことになって、現場の先生にもご迷惑をお掛けしてしまいますからね。さらに法人ビジネスの側面でいうと、学校の予算が決まるのは導入のさらに数カ月前です。商談の段階で『来年に出す機能はこれです』と言わなければならないので、開発現場としてコントロールが難しいところではありますね」

また、サービスの改良手段にも配慮が必要だ。例えば、一般的に行われるABテストを教育サービスに用いることの、倫理的な問題だ。ABテストは、UIや機能の改良時に、どちらの改良案が良いのか判断するための手法だが、教育サービスにおいてABテストを行った場合、A案の利用者とB案の利用者で学習効果に差が出てしまう可能性がある。そのようなABテストの実施が果たして許されるのだろうか。

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「プロダクト開発としてはジレンマがあります。一方で『聖域だからこれはやってはいけない』と考えてしまうと、広がりがなくなる。われわれは既存の教育業界や事業に対する挑戦者です。常に挑戦者であるためには、今までは手を出さないのが常識とされていた部分も開拓していかなければならない。一方で、絶対に踏み越えてはいけない一線がある。それがどこかは分からないので、都度確認し、内部で議論しながらやっていく必要があります」

教育業界は保守的なところもあり、しがらみも少なくはない。前述の通り、ビジネスとしての成長と、教育サービスとしてのフィロソフィーという、相反する部分に向き合っていく必要もある。

「社員が皆、教育にものすごく熱意があるとも限らないんですよね。私も含めて特に技術者は、海外とか英語とか、または技術的な部分に引かれたというのが理由だったりします」

ただ、Quipperで特に長く活躍している人たちは、何かしら「教育に関わっていることへの意識」が強いのだという。

「与える影響がすごく大きいサービスだからこそ、難しさもある。でも、それらを乗り越えて機能を提供し、価値を届けられたら、それはものすごくユーザーにとって良いインパクトがある。そのために、もうちょっと頑張ろう、ここは踏ん張ってやろうと思える人が、長く活躍できる人なのかなと思います」

教育は今、ITによる変革が押し寄せているだけでなく、制度面でも大きな変化を迎えている。そして、時代の移り変わりの中で生徒とその家族、そして先生たちは、どのように学ぶべきか、何を教えていくべきか、非常に難しい判断を迫られている。そんな教育に関わる事業に携わるということは、他のサービス開発とは負うべき責任が大きく違ってくる。

かといって、何も変えなければ、サービスも人も会社も、そして社会も成長しない。長永さんも「僕の中でまだうまく言語化はできていないし、これが正しいかどうかも確証はない」と、不安はありながらも、手探りで進んでいることを正直に話してくれた。

Quipperの強みとして、その技術力や4拠点をまたいだグローバル開発といった要素はもちろん、スタッフによる教育へのコミットメントという、強い意志の存在も欠かせないのだと確信した。

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長永 健介(ながえ・けんすけ) kyanny (Kensuke Nagae) · GitHub
中堅私立大学(理系)を優秀とはいえない成績で中退しフリーターをしていたが、ひょんなことからプログラマーの仕事を始める。ライブドア、paperboy&co.を経て2013年にQuipperへジョイン。WebエンジニアとしてQuipperやスタディサプリや今はもうないサービスの開発に携わる。2018年4月よりVP of Engineeringに就任し、スタディサプリのプロダクト開発部門の責任者を担当。

(取材・構成:青山祐輔、GeekOut編集部)