ウェアラブルと生体情報で近未来を予測できる? ── 老舗繊維メーカー・ミツフジが起こす“波紋”(hamon)

極めて小型化されたコンピューターやセンサーデバイスを、人間が「持ち歩く」のではなく「身に着ける」ようになる──そんな未来像を示す言葉として現れた「ウェアラブル・コンピューティング」。既に腕時計型の「スマートウォッチ」やメガネ型の「スマートグラス」といった商品が市場に登場している中、文字通りの「ウェア」、つまり着衣型デバイスとそれに付随するサービスで、新たな市場を切り拓こうとしている日本の老舗企業が、ミツフジ株式会社(以下、ミツフジ)だ。

ミツフジが主力事業として展開する生体情報マネジメントソリューション「hamon」と、その提供に至った経緯、開発体制について、執行役員開発部部長の小副川(おそえがわ)博通さんに話を聞いた。

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ミツフジ株式会社 | 銀繊維で世の中を紡いでいく【AGposs, hamon】

銀メッキ繊維の「導電性」に業界が注目

ミツフジの創業は1956年。西陣織の帯工場として京都で創業された繊維メーカーだ。伝統的なメーカーとして繊維製造や織物加工などを手がける中、1992年には米国の銀メッキ製造会社と独占販売契約を締結。表面に銀メッキ加工を施した特殊な繊維を「AGposs」(エージーポス)という独自ブランドとして展開するようになった。

AGpossは当初、銀メッキによる電磁波のシールド作用や抗菌作用などを持つ機能性繊維として高く評価され、国際宇宙ステーションにおける宇宙飛行士の下着素材としても採用された。しかしここ数年、AGpossはそれまでとは違う角度で、各業界から熱い視線を浴びるようになっている。

「2013年ごろから、従来の取引先である繊維メーカーとは異なる、企業の研究開発部門などによる問い合わせが急増したんです。AGpossの利用目的の大半は『ウェアラブルデバイスの素材に利用できるか検討したい』というものでした」(小副川さん)

ミツフジ 開発部部長の小副川さん
ミツフジ 開発部部長の小副川さん

AGpossが注目された理由は、その優れた「導電性」だった。繊維の表面全体に、均一に銀メッキ加工が施されており、どの部分でも安定して低い抵抗を示す。「ウェアラブル」「IoT」といったキーワードが注目を集める昨今、AGpossの高い品質は、新たな製品開発を模索していた他業種のメーカーにとって、素材として大変興味深いものだったというわけだ。

それまで繊維メーカーとして、繊維素材の製造販売を主軸としていたミツフジだが、自社の持つ技術の優位性に気付き、大きな事業転換に打って出た。

現在、ミツフジが主力事業として展開しているのが、生体情報マネジメントソリューションの「hamon」である。伝統的な「繊維メーカー」と最先端の「生体情報マネジメント事業」という、一見関連の薄い両者を結びつけたのは、AGpossという「糸」だった。

ミツフジ独自の導電性銀繊維「AGposs」。銀メッキ加工が施されているが、手触りは普通の糸と変わりない
ミツフジ独自の導電性銀繊維「AGposs」。銀メッキ加工が施されているが、手触りは普通の糸と変わりない

肌触りの良いウェアで得られる生体情報を「介護・福祉」「スポーツ」に応用

hamonは、導電性が高いAGpossをセンサー部分に使用し、そこで取得した生体情報(心電のデータ)を送信する「トランスミッター」、トランスミッターから送られたデータを可視化する「スマートフォンアプリ」、集めたデータを蓄積する「クラウドサービス」から構成されたソリューションとなっている。

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hamon ブランドサイトより

ちなみに「hamon」というブランド名は、日本語の「波紋」に由来している。心臓の鼓動や呼吸によって人間の体にエネルギーが伝わるイメージと、日本庭園に置かれている手水鉢に落ちる水滴が水面に描く波紋のイメージを重ね、命名されたのだという。

hamonで提供されるウェアの裏側には、AGposs繊維で作られた「電極」が2つ付けられており、トランスミッターまでの配線が行われている。電極では、心臓の拍動によって起こる体表の電位変化を取得できるようになっている。

ウェアに装着するトランスミッター
ウェアに装着するトランスミッター

健康診断などで心電図を取る際に、金属でできた電極を装着した経験がある人も多いだろう。それとは異なり、hamonのウェアとその電極、配線は全て非常に柔らかい布地で作られている。肌触りは心地良く、ウェアを着たままでの動作や運動なども問題なく行える。

ウェア裏側の電極部分。伸縮性が高く、身に付けても違和感はない
ウェア裏側の電極部分。伸縮性が高く、身に着けても違和感はない

hamonでは、このウェアによって心拍の間隔「RRI」を測定している。RRIは、医療の世界では自律神経の機能を計るための指標として知られており、hamonではこのデータを、利用者の体調や精神状態などを推測するために利用しているという。

また、ミツフジでは現在、hamonを活用した「従業員見守り」「介護・福祉」といった分野でのソリューション提供を進めている。

「従業員見守り」の一般的な用途は、建築現場や工場での機械操作、自動車運転など、働く人の体調や状態がリスクになり得る現場での安全管理だ。「介護・福祉」の分野では、高齢者にhamonを身に着けてもらうことで得られる生体情報を、介護現場におけるサービスの質的向上や効率化といった側面で活用することが期待されており、既に100社近くの利用実績があるという。

加えて、ミツフジが近年注力しているのが「スポーツサイエンス」の分野だ。アスリートがhamonのウェアを着用すれば、生体データを常にモニタリングしながら試合やトレーニングに臨むことができる。

「一般的に、これまで日常生活の中で常時取得できる生体データといえば、心拍数くらいでした。hamonを利用すれば、ユーザーに測定器具を着用していることをほとんど意識させることなく、より多くの情報を含む心電のデータを日常的に取得できるようになります」(小副川さん)

選手自身も自覚できていないような体調や精神状態のパターンを、モニタリングしたデータから見つけ出し、日ごろの体調管理やトレーニングに生かすことができるのではないかという。

「例えば、スポーツの世界では、競技中に選手の集中力が究極まで高まり、通常では考えられないような高いパフォーマンスを発揮する『ゾーン』と呼ばれる状態に至ることがあると言われています。しかし、この『ゾーン状態』がどのような条件下で発生するのかについては、まだ明確に分かっていません。hamonで常に取得できるようになった生体データと、他の計測データ、環境条件などを組み合わせて分析することで、将来的にはその条件が解明されていくかもしれません」(小副川さん)

現在、ミツフジでは多くの企業や大学、スポーツ選手などと共同で、hamonで得られる生体データと人間の身体に起こっていることとの関係を解き明かす研究、実証実験を進めている。

「糸」から「ソフトウェア」まで、全て自社で作る理由

ミツフジのユニークな点は、この「hamon」事業の展開にあたり、「ウェア」「トランスミッター」「アプリ・クラウド」といったソリューションの構成要素全てを自社で開発しているところだ。

実際、同社には「糸」を作る技術者、繊維の編み込みや衣類製造のエキスパート、さらにはトランスミッターのハードウェアを作るエンジニア、可視化を行うアプリケーションの開発者などがそろっている。サービスの強化やカスタマイズ対応の際には、全体で10人ほどのスペシャリストが連携して作業にあたっているそうだ。

「開発部には、衣類のデザイナーやパタンナー、編み込みのためのCADソフトの開発ができる人間もいます。また、トランスミッターには心電センサー、加速度センサー、傾きセンサー、地磁気センサー、取得したデータを送信するためのBluetoothやWi-Fiといった無線通信技術も搭載されており、こうしたものを設計できる技術を持つエンジニアもいる。会社の事業そのものが変わり、提供する製品やサービスも進化していく中で、新しいことへのチャレンジを楽しめるスタッフが集まっています」(小副川さん)

全ての要素について自社開発にこだわる理由は、「スピード感」と「柔軟性」にあるという。

「ウェアの着心地、アプリの機能や使い勝手などについて、お客さまからの要望があれば、翌日には対応できる。そのような機動性は、全てを自社で提供していなければ実現できないものでしょう。大手企業を相手にウェアラブル市場で競っていくために、この機動性は大きなメリットになると考えています」(小副川さん)

全てを自社で手がけられるということは、同時に、ウェアラブル市場への進出を望む他の企業や業界から求められる技術要素を、部分的に切り出して提供できることも意味する。「全体」と「要素」の両面でのビジネス展開を図ることが、市場における存在感を高めることにもつながっていく。

ミツフジは今後、取得したデータから新たな知見を導き出すビックデータ解析やAIに関するスキルを持ったエンジニア、また将来的な医療機器認定の取得を視野に入れた医療系の専門家といった人材を強化していきたいと考えている。

「ウェアラブルデバイスの活用が見込まれるさまざまな業界と、その現場における声や課題をくみ取って開発にフィードバックできる。そんなスキルを持ったエンジニアに参加してもらえれば理想的ですね」(小副川さん)

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生体データからこれまで見えなかったものが見えてくる

hamonでは、2018年5月から、新たに月額課金モデルによるサービスの提供を開始している。合わせて、一般消費者向けにもターゲットを広げつつ、2019年中に50万ユーザー、年間100億円以上の売上を目指すという。

「ウェアラブルをうたう製品やそれを利用したサービスは徐々に市場に現れていますが、まだ十分なマーケットとしては成立していない状況です。ただ、今年後半以降には、さまざまなサービスが続々と登場してくると思います。その状況の中で、ミツフジとしては、製品そのものよりも、そこで得られるデータとその分析から得られる知見こそが、これからのウェアラブル市場において価値を生み出していくと考えています」(小副川さん)

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現在、ミツフジ社長の三寺歩さんは、「ウェアラブルデバイスによる生体情報マネジメントの市場は、いつか『占い』ビジネスの市場に取って代わるかもしれない」と、よく口にしているのだという。

「自分の未来を知りたい」と願う人の思いが、日本で1兆円規模を越えるともいわれている「占い市場」を成立させている。さらに、スマートフォンの爆発的な普及で、既にネット上にはさまざまな形で、人の生活パターンをデータとして記録した「ライフログ」が存在している。

そこに、多くの人が「服を着る」感覚でウェアラブルデバイスを身に着けることで、朝のテレビ番組や雑誌の占いコーナーを見るのと同じ気軽さで、「自分の身体に起こっていること、そしてこの先起こりそうな『予兆』を知ることができる」「ライフログと、hamonによる生体情報ログを組み合わせ、総合的に分析することができる」──そんな時代が来るとしたら、ウェアラブルは「ちょっとした裏付けのある占い」、さらには「健康管理」や「予防医療」の枠組みを越えた新たな市場を生み出すのではないか? と期待してしまう。

「生体情報で人間の未知を編みとく」(英訳:Weaving health data into greater human understanding)という企業理念を掲げるミツフジ。西陣織の帯工場から始まり、老舗の繊維メーカーとして培ってきた「ものづくり」のノウハウと、新たな「ウェアラブル」「IoT」「ビッグデータ」といったテクノロジーの力が融合するとき、人間の未来には未知の“波紋”が起こっていくだろう。

「私たちには、実際に人の肌に触れ、電気信号としてデータを取得できる繊維の技術に強みがある。さらに、自分たちが開発したアプリケーションによって、そのデータから価値を生み出すことができる。その点で、私たちの事業には大きな夢と可能性があると思っています」(小副川さん)

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小副川 博通(おそえがわ・ひろみち)

ミツフジ株式会社 執行役員 開発部長。
大手IT企業やベンチャー勤務を経て、ユーザー企業でIT全般を担当後、ミツフジに入社。
キャリアで培ってきた「利用者目線」の開発経験を生かして、ミツフジの製品サービス開発全般に携わっている。

(取材・文:柴田克己、編集:北内彰一)