技術コンテンツの流通に「橋」をかける ── ITエンジニアが本を書き、そして作ること

Roman Bridge of Córdoba

こんにちは、武藤健志@kmutoと申します。

編集制作プロダクションのトップスタジオという会社の執行役員として、編集・DTP・インフラ管理、そして新しい制作技術の研究開発を業務にしています。

「編集制作プロダクション」といっても出版業界以外にはまったく通じなさそうな業種だと思いますが、出版社やメーカーを顧客として、企画・執筆や翻訳・編集校正・装丁、DTP(紙面レイアウト配置)のいずれか、あるいは全部を行い、印刷所に渡せる状態のデータ(今はおおむねPDF)を納入する、というのが当社の守備範囲です。各社の技術書の制作を中心に手掛けており、皆さんのお手持ちの書籍の中にも当社が制作に関わったものがあるかもしれません。

個人としては、Debian Projectの公式開発者のひとりでもあります。「完全にフリーソフトウェアで構成されたOSの実現」を標傍しDebian GNU/Linuxなどを開発するこの団体で、印刷ソフトウェアの保守やインストーラの国際化対応、APTをはじめとする各種ソフトウェアの翻訳といったことに関わってきました。

最近の主な活動は、書籍制作支援のフリーソフトウェアRe:VIEWの開発です。青木峰郎さん(現・クックパッド)がご自身の執筆のために開発された執筆支援ツールを2009年ごろから私が引き継ぎ、現在は高橋征義さん(達人出版会)、角征典さん(ワイクル)とのチーム開発をしています。書籍制作という性質上、業務で活用するための拡張をすることもあるので、開発は個人活動でもあり仕事でもありといったところです。

ITエンジニアとしての始まり

私のキャリア形成は、大学の選択時点に端を発しているように思います。

コンピュータは大好きでしたが、他者と勝負できそうなのは国語と日本史くらい、センター試験を乗り越えても理系の二次試験で玉砕するのは火を見るより明らか……そこで見つけたのが千葉大学文学部の行動科学科でした。文学部ながらも「コンピュータを使った研究」という一文、試験科目は「国語、数学(解ける範囲だ!)、英語」。

入学して、「コンピュータを使った研究」を先導する土屋俊教授に師事することになりました。インターネットの黎明期に、教授の指導の下、SunOSやNeXT、Macintosh・DOS・Linuxなどのさまざまな機器からなる学部ネットワークを管理し、AWKやLaTeXなどのテキスト処理言語を学び、Webサーバーの立ち上げもできたのは貴重な経験であり、「ネットワークインフラの管理は楽しい」という気持ちは今に続いています。

当時の研究室のテーマはコーパス(自然言語の大規模な集積)の構築とその解析でしたが、そのコーパスはSGML(Standard General Markup Language)というテキストマークアップ形式で記述されていました。SGMLは今のHTMLやXMLの先祖にあたり、コンテンツ上の記法はほとんど同じです。SGMLを学び、またネットワークのユーザー向けの各種ガイドをHTMLやLaTeXで執筆してWebサーバーに上げていくという活動を通して、「コンテンツのマークアップ表現とその処理」という技術指向の下地が形成されたのだと思います。

システムインテグレータとして

卒業後、インテグレータ(SI)企業に就職し、SGML/XMLコンテンツの処理開発を主とする部署に配属されました。Visual BasicやVisual C++を使ったアプリケーション開発、部署のSolarisやAIXの管理、LinuxとPerlによるテキスト処理、そして兼任としての全社ネットワークの管理が私の担当業務でした。

すでにインターネット界の著名人であった「あさたく」こと、故・あさだたくやさんも当時同じ部署に在籍しており、コンピュータやインターネットの技術に限らずその広く深い知識とユーモア、コミュニティの垣根を易々と越えるフットワークには大いに感化されました。

自宅での使用OSをSlackware LinuxからDebian GNU/Linuxに移行したのもこの頃です。荒削りながらも発展段階の気運があり、いろいろなソフトウェアがパッケージ化されていて使いやすく、また世界的なプロジェクトという点にも興味をひかれました。

出版の世界、フリーソフトウェアの世界

その後、企業業績の低迷で不穏な空気が漂ってきたので、転職を決意しました。またSI企業に行くか、以前から興味のあったゲーム企業か、それとも全然違う職種か。

当時の私は、大学時代に黎明期のJavaの書籍を共著で執筆したことがきっかけで、記事の執筆やインターネット技術の翻訳書の監修を依頼されることがしばしばありました。あさださんが共著で執筆された『FreeBSD徹底入門』に触発され『Debian GNU/Linux徹底入門』を執筆してみて、ますます技術書の制作という世界に興味がわいてきました。

株式会社トップスタジオ(当時は有限会社)は前職場の翻訳部門のメンバーたちが起業しましたが、彼らの在籍当時から翻訳物の監修などで関わりがありました。トップスタジオに転職先を決めた理由は、技術書の編集という仕事の内容に興味をひかれたこと、すでに見知っている人たちなので信頼できそうなこと、まだ始まったばかりの会社でネットワークやサーバーなどのインフラ構築が必要なこと、でした。

入社後は技術書の編集職とITエンジニアリング・インフラ整備管理の兼任として働き始めました。それから後述のRe:VIEWの開発を通してDTPも兼任するようになり、今に至ります(実のところ、これほど長く身を置くことになるとは思ってもいませんでした)

一方、1ユーザーの立場だったDebianについても、国内での開発と普及活動をしているDebian JP Projectに誘われ、さらに本家であるDebian Projectの公式開発者にもなりました。

鵜飼文敏さんをはじめとする優れたITエンジニアの人たちがDebianに関わっており、その匠の技や会話の内容は千金に値するものでした。そこで私は、技術書の編集制作という立場を活かして何かできないかと考え、監修の依頼をしたり「いま翻訳されてほしい原書」企画を実施したりもしてきました。

書籍制作とITエンジニア

実際に書籍を執筆したり制作に関わったりしてみると、アナログな手作業が多いことに驚きます。

もちろんコンピュータを使わないわけではないのですが、目標とする最終形態が「紙」なので、デジタルの原稿やデジタルPDFで渡したものが、手書きに書き起こされて、FAXで送られ、目視で修正が入れられて、……という悲しい状況になりがちです。

とはいえ、ITエンジニアの活躍の場がまったくないというわけではありません。むしろエンジニアリングを少し活用するだけでも劇的な改善効果が得られます。

例えば、索引の拾い出し・辞書読み・ソート・照合を支援するWebアプリケーション(参考:とある制作会社の目次索引作成技法を開発したことで、制作時間は大幅に短縮され、正確さもはるかに向上しました。

人間の注意力に頼っていた検品チェックの支援としてちょっとしたチェックプログラムをいくつか開発したことで、かつて目視では幾度も見落とされていたミスが未然に防がれるようになりました。

ネットワークストレージやVPNなどのリモート環境を整備してきたことで、育児や介護といった家庭事情で在宅勤務を希望する従業員にも働きやすい環境を提供できました。

ほとんどの開発は明確な仕様が決まっているわけではなく、私自身が必要になって作り汎用化したか、事故・ニアミス報告の再発防止策、あるいはランチの会話の中での「ちょっと今困っていること」の解決として生まれています。また、大半はDebianを通じて学んだフリーソフトウェアを組み合わせることで実現しています。

ただ、「自分がいなくても問題なく回る(退職でなくても事故・病気の可能性は十分にあります)」のも大切なので、使い続けそうなものは過度の自動化や複雑化を避けるようにしたり、コードをバージョン管理に入れるようにしたり、ドキュメントを用意したり、といったことには注意しています。

技術コンテンツの多様化とRe:VIEWの役割

個人として世に出している目下の活動は、Re:VIEWの開発です。

これは冒頭で述べたように、もともと青木峰郎さんが執筆のために作ったソフトウェアですが、彼の書籍の編集を担当した際に原稿テキストのマークアップについて尋ねたところ、その存在を伝えられました(当時は「review」という名前でした)

『Debian GNU/Linux徹底入門』シリーズの制作を通して、手作業のDTPに不満はあり、DTPも自分でやりたいがLaTeXのレイアウトを作り上げるのも難しい、XMLは原稿を書くには不向き過ぎる……と模索していた私にとって、手作業のマークアップよりも一貫性があり拡張性の高いマークアップ形式と、テキストやHTML、LaTeXへの変換を備えるRe:VIEWは、まさに求めたものと言えます。

商業DTPソフトウェアInDesignの自動化まわりの機能は予想よりもだいぶ貧弱だったのですが、それでもXMLの取り込みとJavaScriptの実行機能は備えていたので、苦労しながらもRe:VIEWを使った自動的なDTPを実装することができました。

青木さんやそれを引き継いだ私の個人プロダクトレベルだったRe:VIEWは、LaTeXソースだけでなくPDFの生成まで一気にできるようにしたり、EPUBを作れるようにしたり、執筆に必要と思われるマークアップを追加したり、と開発・拡張を進めるにつれてユーザーを徐々に増やしていきました。

Android技術を中心にした技術書同人誌を制作しているTechboosterや、その中心メンバーが主催する技術系同人誌頒布イベント技術書典を通してさらに広くユーザーを獲得し、出版社の中にも、Re:VIEWを原稿形式として扱うところが増えてきました。

2012年に開催されたPAGE 2012で「いずれ原稿標準フォーマットの地位に就く」と大見得を切ってみましたが、それから6年が経ち、技術書方面ではなかなかの浸透を得られたようです。

ユーザーにITエンジニアが多いことから、Re:VIEWの使い方にも技術を凝らした手法が聞かれます。仮想化イメージの提供、校正ツールとの連携、プレビュー機能を備えたエディタプラグイン。最近はLaTeXの代わりにCSSを使った紙面レイアウト手法もブームになりつつあります。

InDesignを使った自動DTPについても、「得体の知れぬ編集制作プロダクションの独占的技術」と思われて出版社がRe:VIEWの採用を敬遠するというリスクが隠匿化のメリットを上回るようになってきたため、ノウハウを書籍化して『Re:VIEW+InDesign制作技法(達人出版会)として刊行したりもしました。

こうして私にとってのRe:VIEWの開発は、個人の活動でもあり、業務でもあり、となったのです。

おわりに

現在の出版業界をとり巻く状況にはあまり明るいニュースはないのですが、技術書典の盛況に見られるように、技術をコンテンツとして取りまとめたものを制作し、世に配布する、というニーズはあり続けるものです。

アナログ工程とデジタル工程、執筆と出版、と橋をかけてきましたが、これからも新しい橋をかけることで技術コンテンツにどんな新しい世界を広げられるのか、楽しみながら考えていきます。

武藤健志(むとう・けんし) @kmuto / kmuto

kmuto

千葉大学文学部卒。SI企業のエンジニアを経て、株式会社トップスタジオ執行役員。技術書の編集制作のほか、新たな制作手法の研究開発も業務の一環。Linuxやフリーソフトウェア・オープンソースソフトウェア、プログラミング言語に関する著書・監修書多数。書籍制作支援のためのフリーソフトウェア「Re:VIEW」の開発リードを務める。
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※記事冒頭の橋の写真は、スペインのRoman Bridge of Córdoba(筆者撮影)